『飛驒のやきもの』(アポロン社版) ~カバー・巻頭図録
(管理人註:
・この連載記事では、長倉三朗(昭和44年初版)『飛驒のやきもの』アポロン社 を底本にします。昭和51年には実業之日本社から、同書に加筆修正をおこなった新板が出ています。
・巻頭図録にはページ数記載はありません。)
題字 守 洞春筆
カラー写真 渋草焼月山筆赤絵徳利
飛驒のやきもの
長倉三朗 著
アポロン社
色絵花鳥三段重
高山市 白川天祥堂蔵
俗に徳丸絵といわれる色絵で九谷のものと間違われる手である。蓋は木製であるが始は共蓋であったと思われる。
伝小糸焼 香炉
高さ 4.5厘 高山市 荒川広吉氏蔵
灰釉が厚く、黄色に焼き上げられ、細かい貫入が入っている。初期の小糸焼として伝えられていたもので明治期に金で火星が作られ香炉として使われてきた。
江名子源十郎竹絵水差
高さ 18厘 巻物絵皿 径 19厘
高山市 大隆寺蔵
鉄絵に灰釉を掛けたもので貫入がいっている。絵は共に乾舟和尚の書いたものであると伝えられている。
還来寺楽
径 27厘 高山市 白川吉郎氏蔵
青楽柾目八寸
古い目の立った板に土を張付けて作った味わいのあるものである。
三福寺焼 大鉢
径 30厘 高山市 瀬ノ上定五郎氏蔵
前期三福寺の鉢でロクロ目を残した大まかな素体に灰釉を掛け還元焼成で青味をおんでいる。
後期三福寺焼 鉢
径 28厘 高山市立郷土館蔵
ウスイ長石釉を掛けた鉢で細かい貫入が入っている。
二期小糸焼 盃洗
径 15厘 高山市 白川信次郎氏蔵
黒土の素地に白泥を刷毛で塗りつけ灰釉をかけたもので渋い色調である。
赤絵百老大鉢
径 33厘 高山市 松山吉一氏蔵
下林区寺坂の土で焼いた淡黄色細貫入の生地に赤で百老を刻明に書き金でくくっている。名工徳丸の豪華な鉢である。
渋草焼 赤絵大徳利
高さ 三〇厘 高山市 平瀬市兵ヱ氏蔵
磁体を細密な赤絵で埋めた大徳利で丸紋の中は大黒天と恵美須天が書かれ、外は青海波に鴨と葦を書き込んでいる。
渋草焼 染付高台皿
径 23厘 高山市松山吉一氏蔵
渋草焼きの暗黒時代といわれる明治初期の染付で焼上は良いとはいえないが高台内の無釉のところに、「明治三年七月瀬戸に誂同月四日釜上出来古今の上出来也三ツ組の内数四枚キ両キ分」の墨書がある。
渋草焼 南京写徳利
高さ 二三厘 高山市 打保荘平氏蔵
槍ケ岳の山麓に磁土を発見してから作り出した南京写の内の一つで明治二十年頃の作。暖かみのある釉調に美しい呉須の色がはえている。
渋草焼 南京写徳利
高さ 二三厘 高山市 日下部礼一氏蔵
両面に翁の面を張り付けた高尚な白磁瓶で格調の高いものである。明治十年~二十年頃の作。
渋草焼 白泥盛花唐草大徳利
高さ 二四厘 大宮市 村田久造氏蔵
赤土の地体に白泥をイッチンで花唐草文を画き、灰釉を掛けたもので細かい貫入が入っている。形も美しい。この手のものは後期三福寺焼のなかにもあり、渋草焼では明治二十~三十年頃に作られた。
渋草焼 色絵皿
径 二四厘 高山市 戸田柳造氏蔵
桐と鳳凰を崩した文様を五彩で描いた美しい皿である。明治末期の作。
渋草焼 染付大皿
径 63厘 松山吉一氏蔵
工人を有田に派し技術を習得して帰ってから作った。明治十五年の作。同体のものは東京博物館、名古屋商工会議所にある。
染付大皿の裏銘
「一窯能富国 四海長伝芳」
当時人々の意気を感じとることができる芳国社というのはこの意気によったものである。
渋草焼 染付猩々絵鉢
径 30厘 大宮市 村田久造氏蔵
緑絵は千鳥墨抜、四ツの窓には波と蝶唐草外一面に葦を描く堂々とした鉢である。
猩々鉢裏銘
「大日本飛驒
芳国社製造」
猩々絵鉢見込の猩々の絵
渋草焼 上絵草花文様コーヒー受皿
大宮市 村田久造氏蔵
上絵の洋絵具を使い、能筆の南画調絵変りコーヒー皿で、この手のものは輸出もされた。
渋草焼 コーヒー皿 セット
渋草焼 戸田窯 大鉢
高山市 戸田家蔵
明治末期の作。細かい貫入の入った陶体に色絵を付けたもので菊の花には白盛を使っている。
青磁 汁注
高さ 12厘 高山市 松山吉一氏蔵
江戸時代から作られた形の汁注ぎで美しい青磁、手の上部には菊のはり付があり心にくい出来である。