民家の保護
民家の保護
朝日新聞学芸欄に書いたものである 昭和39年
洛中洛外の圖を見ると町の中でもムシロを掛けた家がある。農家ではムシロを吊り土間に藁を敷いて生活した時代は明治の初期まで續いたものと思われる。
私の子供の時代は戸を開けて締めないでをくと “コモカケ育ち” といってしかられたものである。コモカケというのはコジキの代名詞のようなものであるが実は農家にもコモカケの家があったのである。
明治の始じめ歐米の文化が入ると古いものは片っはしからこわした。ことに城などは無用の長物とばかりに次々とこわした。そのうち文部省は古い建造物の保護にのりだし特別保護建造物という制度を作ったがこれには庶民の生活にはほど遠い寺院、城郭、宮殿等でのちに民家も加えられたがそれは庶民とは縁のない大きな邸宅に限られていた。実際に庶民が生活し子孫を育ぶくみえんえんと續いた厂史あとをしる民家や民具が保護される様になったのは、戦後文化財保護委員会が発足してからである。
文化財委員会が民家の場合、重要民俗資料の對照とするのは現地にあるもので、移築したものは指定の對照から除外したのは最もできしたそちであらうと思われる。
民家はその土地に出来るものを材料を使用しその土地風土に合うように造られたもので金にあかして遠方より珍貴な材料を集めた大邸宅や宮殿とは違うものである。
最近古い民家を保護のめいもくで中央に移築集中しようとする動きがある。これなどははたして良いことであらうか。民家はその土地の空気をすい雨や風、また雪をのせてきたものである。その土地にあってこそ意義がある。
飛騨の山奥の家や民具を東京まで見に行かねば見えないなどということになったらどうであらう。こんな馬鹿げたことはない。しかし現実はそうしたことになりつつある。民家や民具を現地で保存するほうさくを早急にたどる必要がある。